ザンジバル
NHKで世界遺産を紹介する番組(2008.11.15)でザンジバルが映ってました。ザンジバルは赤道の下で東アフリカ・タンザニアの向かい側に位置するインド洋に浮かぶ小さな島です。テレビに映し出された島の様子は30年程前(1976年頃)に仕事で行った往時とは全く違っていました。
ザンジバルはかって奴隷売買や象牙輸出で栄えたサルタン王国でした。奴隷売買が廃止された後もアラブ人のサルタン王朝がアフリカ黒人を支配した分、アラブ人を追放する激しい革命が勃発し革命政府の自治国(1964年)になりました。
奴隷売買は主にアラブ商人が中心で、印度商人や欧州商人達もやってました。内陸で捕まえた奴隷をタンザニアのダレエスサラームに集めて、向かい側のザンジバルに送り、そこで競りにかけてアメリカへ積み出した悲惨な歴史の島です。ダレエスサラーム市内には小さな奴隷博物館があり、鎖が付けられた足かせ、手かせが展示されていました。NHKでは扱われませんでしたが、島には奴隷を積み出す前の施設や反逆した奴隷を閉じこめる海に浸かる石牢も遺跡として残っている筈です。それも世界遺産の一つだろうに。
放送ではかっての王宮の建物内部が案内されてましたが、30年前は革命政府樹立から10年ちょっとの頃で、記憶に間違いがなければ確か革命政府が使っていたから見学はできなかったです。かっての王宮の建物の前には海につきだした広場があり、その砲台から見た沈む夕陽が綺麗だったことは今も覚えています。
日が沈むと電気は夜間3時間程度だけでそれ以後は蝋燭の灯りだけでした。風呂は頭上に備え付けられた電気温水器に蓄えたお湯を下に向けて流すだけですが、電気が3時間だけなので1回流したら終わりで体を拭いておしまいです。
インド洋を渡る風のせいか、赤道直下なのに明け方は寒くて早朝から聞こえてくるコーランのうねりようなお祈りで目が覚めて、また毛布を被って寝てました。小さな島なのに何故か日常雑貨が揃う場所でした。当時のケニヤ・ナイロビに行かないと揃わないような物が揃うようでした。かって貿易で栄えた国の名残だったのでしょう。
芝生の広場では少年サッカーをやっていたし、テレビはUHFでカラー放送していたこともアフリカにしては珍しく豊かな町なんだなと当時思っていました。町中を歩く女性はベール(ニカーブ)で顔を覆った女性だけの記憶しかありません。
その頃、日本人のボランテイアで東アフリカの民間の貨物船の船長をしていた人がいました。広島・江田島の海軍兵学校出で太平洋戦争から生きて還り、戦後は海上自衛隊で働き、そして東アフリカに渡り、残りの人生をアフリカの援助に捧げた人でした。彼は貨物船でザンジバル港に入ると電力ケーブルをつないで船の発電機を回して島に電力供給していたし、船で焼いたパンを島の人に配ったりして島の人から尊敬されていました。歳をとってからのあのような献身的な貢献を思い出すと、本当に頭が下がります。自分は歳をとってから外国に行くことすらできません。
当時の一番の驚きは、それ以前のザンジバルには日本人の「からゆきさん」がいたことでした。彼女は日本の家族を養うために体を張って女一人でアフリカまで行って日本に送金をしていたこと、ただただ驚くばかりでありました。古い本ですがこの辺りの話は「ザンジバルの娘子軍(からゆきさん)」白石顕二/著 というドキュメンタリーで紹介されています。戦前の困窮を極めた時代の話は読んでいて辛いです。中国、東南アジア、ハワイ、南米での開拓移民の話にも共通するのですが、政府の無策振りと時代に翻弄される人々の姿は気の毒でなりません。
30年の記憶は断片的でありますが、映像に映った島に渡るセスナ機から見た眼下に広がる深い海の碧さはそのままでした。(た)
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