政府税調は「個人所得税に関する論点整理」
(2005.6.21)を公表しました。
内容の概要説明は2005.6.22朝刊各紙(NIKKEI
NET)に掲載されています。
この報告書の公表に先立ち政府税調会長・石弘光が審議の取り纏めの内容を記者会見(2005.6.11朝刊各紙)
で発表していましたが、その内容はサラリーマンを中心とした所得税の課税強化の話が中心でしたが、発表された「論点整理」
はいつものように主要国との比較をして日本の課税最低限が低いとの論点でしたが、
事業所得と不動産所得については現行制度に至った経緯の箇所では戦後のシャウプ勧告を振り返ったりして戦後60年の歪みを問題視していました。
その中で手続規定が含まれていましたので意外な感じがしました。報告書の最後のほうの16頁の「立証責任」です。その箇所を引用します。
税務「訴訟における立証責任は、基本的には個々の実体法規の解釈として定められるものであり、
わが国の税務訴訟における立証責任は一般的に課税庁が負うものとされている。しかし、近年の税務訴訟においては、
納税者に立証を求めるべき場面においては、納税者に一定の立証を求める裁判例が判例として定着しつつある。
こうした流れや経済社会の構造変化を踏まえれば、今後、納税者自ら説明責任を果たすことが相応しいと思われる項目について、
個別的に制度的枠組みを整えていくことが望ましい。例えば、前述の、事業所得の必要経費に係る「概算控除制度」の導入や、
給与所得に係る特定支出控除の範囲の拡大は、こうした観点から意義のあるものと考えられる。
いずれにせよ、税務当局が一般的に立証責任を負う下では、適正・
公平な課税を実現するために十分な資料を収集できるような環境が整備される必要がある。」
戦後の税金訴訟の制度はシャウプ勧告まで遡ります。現在では税金の紛争は税務署長への異議申立に始まり国税不服審判所の審判
(不服前置主義)を経た上で裁判所へと提訴され、最終的には司法の場で解決が図られます。戦後の日本では行政裁判所
(明治憲法61条の行政裁判所は一審かつ終審)が廃止されたため、行政事件は直に裁判所の民事部での争いになりました。シャウプ勧告
(1949年)は税金の紛争は先ず行政機関の中で解決を図り、それでも駄目なら司法の場へ移すことを提言しました。
勧告を受けて税金の紛争を処理する機関として国税庁の設置と同時にその中に協議団(a conference group)が設置
(1950年)されました。それが改組されたものが今の国税不服審判所(1970年)です。
同時に勧告は東京高等裁判所の中に租税事件専属管轄権を有する部署の創設および法務府(省)に租税検察官の提言をしましたが、
こちらの方はうまくいかず、今でも東京や大阪の大都市の地裁で特定の民事部が行政事件を専ら扱っているに過ぎず、
地方では行政事件専門の民事部はありません。
シャウプ勧告は税金裁判における納税者の立証について提言しています。これはアメリカの例に倣ったものですが、
この提言における原告(納税者)が先ず進んで証拠を出すべきことが立証責任(burden of proof)あるいは提証責任(duty
of producing(going forward with) evidence)まで含んでいるか否かは不明です。
「 the taxpayer should have the initial responsibility of coming
forward with evidence to show that the Government's
administrative decision is erroneous.」
この勧告は、提訴する者が立証責任を負うとするコモンロンローの裁判手続の原則に従ったものです。
この原則は行政処分に対する不服申し立てにも適用され、先ず不服申し立てをする原告納税者が行政処分の違法性を立証することになります。
この原則は内国歳入法にも規定されています(Internal Revenue Code ,Rule 142及び229)。
1998年のThe IRS Restructuring and Reform Act of 1998 (RRA '98)では、
事実関係について原告納税者が法令に従った信頼しうる事実関係の立証をした場合は内国歳入庁(IRS)
に立証責任が再配分されるという条件付きの例外規定が導入され変化はあらわれていますが、原則は生きています。
シャウプ勧告(1949年)を受けた当時の日本政府部内の検討は次のようなものでした。
GHQ:税金返還訴訟の立証責任は原告に在るように立法すべきと要請した。
法務府:原告に立証責任を負わせることを明文化することは行き過ぎである。
最高裁:税金訴訟においても普通の民事事件と同じで租税債務(国が債権者で納税者が債務者)の不存在の確認を求める訴訟においては、
債権を主張する者(国)が租税債権の主張を立証するのが当然であると解釈していた。債権者である「国の主張が相当」
であれば債務者である納税者に証拠提出義務を負わしても良いが、国の主張が相当なことが証拠により認められる場合でなければ、
債務者に証拠提出の義務を負わすべきではない。結局、賦課処分(行政処分)
について納税者に立証責任を配分するのは酷ではないかとの判断から日本の制度には馴染まないとの結論に至り、
1950年に実体税法である所得税法および法人税法に立証責任については規定せず、証拠提出の順番を規定することで妥協が図られました。
(国税通則法制定前は手続規定は各実定税法に規定されていた。)
当時の行政事件の訴訟手続は民事訴訟法の特別法である行政事件訴訟特例法(GHQの要請を受け1948年の立法で訴願前置主義)に依っていました。
その後、訴願前置主義を廃止した行政事件訴訟法が1962年に制定(新法制定で行政事件訴訟特例法は廃止、
2005年の改正法は実質40年振りの改正法)され、同じ年に行政不服審査法が併せ制定されました。
国税全般に関する国税通則法が同じく1962年に制定され、国税通則法は税金の異議申立・不服審判・訴訟に係る諸規定を設け、
訴訟については行政事件訴訟法の特別法の位置付けにあり現在に至っています。
行政事件訴訟法には立証責任の明文規定が無いため解釈から立証責任を求めることになりますが、民事訴訟法は行政訴訟の本質・
特殊性に反しない限りにおいて適用があるため、
行政事件も実体法的にみて民事紛争と異ならない問題は訴訟法上も民事紛争として取り扱えば良いと解釈されています。
この解釈は1962年の法制定時から一環した解釈です。
今回の政府税調の「個人所得税に関する論点整理」において出された問題は、所得税の「概算控除制度」の導入や、給与所得に係る
「特定支出控除の範囲の拡大」と関連づけて指摘された形になっていますが、
立証責任の問題の影響は所得税だけに止まらず税法全体に影響を与える大きな問題です。行政事件における主張・
立証の問題はの改正行政事件訴訟法(2005年4月1日施行)の検討過程(司法制度改革推進本部・行政訴訟検討会)
においても意見がまとまらず今後の検討課題とされた問題です。なお、改正法23条の2(釈明処分の特則)
は実際には機能していない法24条の職権証拠調べを運用面で補うことが期待されて導入されたもので立証責任とは直接には無関係な問題です。
税金の処分に対する裁判は、通常は抗告訴訟で処分の取消を求めますが、出訴期間徒過で無効確認訴訟をした場合の立証責任は原告・
納税者にあるとの判決で確定しています。
昭和34.9.22 最高裁判例
処分の要件の存在を肯定する処分庁の認定に重大明白な誤認があることを具体的事実に基づいて主張すべきである。
昭和42.4.7 最高裁判例
処分の瑕疵が無効原因を構成すると主張するだけでは足りず、
処分の要件の存在を肯定する処分庁の認定に重大明白な誤謬があることを具体的事実に基づいて主張すべきである。
これらは、あくまでも無効確認訴訟での問題であって一般的な取消訴訟での問題ではありません。
今回の論点整理で「わが国の税務訴訟における立証責任は一般的に課税庁が負うものとされている。」
との記述は以上のような歴史的背景および現状を踏まえた上での問題意識です。新たな「概算控除制度」を導入するのはいいが、
実額経費との差額で過去のサラリーマン税金訴訟(大島訴訟)
のように不服に対し国の立証責任でいちいち対応していたのでは叶わないというのが本音でしょう。仮に立証責任の配分問題が明確にされれば、
行政が処分の正しさを立証する前に、配分された立証責任を負う原告・納税者が立証不可で費用の事実の存在が証明できない場合の不利益は原告・
納税者が負担することになります。
将来そのようになると行政処分に対する納税者の立証責任制度は馴染まないとしてシャウプ勧告に反論した当時の日本政府の意見とは逆の方向に向かい、
司法制度改革推進本部・行政訴訟検討会が纏めきれなかった意見を超えて進んでいるといえます。それとも、
現行の行政の立証責任の原則は維持するが少しでも立証責任を納税者に配分し資料収集面を強化するために、
この立証責任問題を持ち出したのでしょうか。
課税強化と並んで大きな問題ですが、その割には割かれている紙幅も少なく、
政府税調の委員方は本当にこのような所まで理解して踏み込んで議論されたのでしょうか、疑問が残ります。
(た)
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